のんびるインタビュー「おいしいごはんと あたたかな笑みと 枝元なほみさんの思い出」水越洋子さん (『ビッグイシュー日本版』編集長) 佐野未来さん (ビッグイシュー日本 東京事務所長)

えだもと・なほみ 1955年神奈川県生まれ。演劇集団「転形劇場」の俳優時代に料理と出会い、
無国籍料理店のシェフに。その後、料理研究家として独立し、雑誌、本、テレビなど幅広く活躍した。
著書に『枝元なほみのめし炊き日記~人生なんとかなるレシピ~』(農山漁村文化協会)など多数。2025年2月27日逝去。

 

雑誌の販売を通して、ホームレスの人の仕事をつくり、自立を応援するビッグイシュー(※1)。今年2月27日にお亡くなりになった料理研究家の枝元なほみさんは、20年以上にわたり、その活動をずっと支え続けました。素顔とお人柄を知るお二方に、思い出を伺いました。聞き手・構成/濵田研吾

一人ひとりに思い出がある
─250回以上に及んだ人気連載「世界一あたたかい人生レシピ 枝元なほみの悩みに効く料理」(2008年1月15日号~)をはじめ、ビッグイシューにとって枝元さんは、かけがえのない存在だったと思います。
水越 第12号(2004年9月1日号)の特集記事「秋、いま、スローシンプルフード」が、ビッグイシューとの最初の出会いです。私たちの活動はすでにご存じで、「何かお手伝いしたい」と言ってもらい、13号から最初の連載「枝元なほみのスローシンプルフード」が始まりました。それから20年、本当にお世話になりました。こちらから何かお願いしても、いつも気持ちよくお引き受けいただきました。
佐野 イベントがあるとアシスタントさんとケータリングをしてくれたり、いつも気合いを入れて協力してくれました。コロナ禍のときには、「在宅自炊指南」という特集を2回(2020年6月1日号、2021年7月1日号)やってもらったこともあります。
─2019年には、認定NPO法人ビッグイシュー基金の共同代表になられます。
水越 駅で見かけたら声をかけたり、ホームレス状態の人をつねに気にされていたみたいです。ビッグイシューの応援だけではなく、機会があれば「販売者さんと話したい」という気持ちも大きかったように感じますね。
佐野 誰に対してもフラットで、同じ目線に立つ方でした。相手の肩書きも関係ない。連載「スローシンプルフード」の第1回(2004年9月15日号)にこう書かれています。「食べて生きていく、っていう人の基本に近づいて、何々会社のだれそれさん、という肩書きから、たとえばトンカツにしょうゆをかけて食べるのが好きな何々さん、となる」。それは販売者さんに対しても同じでした。
水越 販売者さん一人ひとりに、思い出があるはずです。「大阪でのビッグイシューのイベントの帰り、大阪駅でいっしょに立って売ってくれた」という話も聞きました。
佐野 毎年夏には、東京で開く定例のサロンに来ていただき、連載のレシピから選んで、販売者さんといっしょに作るんです。枝元さんと初めて会う販売者さんは緊張するんですが、すぐに馴染んで、「この野菜、どう切るんですか?」とか声をかけたりする。枝元さんも、そういう場をとても楽しんでくれました。
水越 すごいのは、ずっとおしゃべりしている間も料理をする手はとめず、動いているんです。猛烈にお忙しかったときも、連載の締め切りに遅れたことは、一度もありません。「枝元なほみの悩みに効く料理」の写真とコメントも、お亡くなりになる直前まで用意してくださっていました。

人と、食への深い慈しみ

─料理研究家として、つねに「食べる」ことを追求される方でした。
佐野 イベントのときも、遠慮して料理に手をつけない販売者さんやスタッフがいると、「もっと食べて!」と言われるんです。打ち合わせでオフィスにお邪魔しても、「ごはん、食べた?」から始まる。しかも、デザートまでつく(笑)。打ち合わせはいつも、食事のあとでした。
水越 どうすれば「満足に食べられない人がいなくなる社会」になるのか。そのことをいつも考えておられました。
佐野 子どものころ、ビアフラ(※2)の飢餓に心を痛めたことが、原点だったそうです。「夜のパン屋さん」(※3)を始めたときも「誰ひとり飢えさせたくない」とおっしゃっていました。

 

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◆7.8月号目次◆

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