【のんびるインタビュー】飯舘村の母ちゃん今、あらためてそれぞれの歳月を

聞き手・構成/濵田研吾 写真/堂本ひまり
 
ふるい・みずえ
1948年島根県生まれ。アジアプレスインターナショナル所属。
1988年よりパレスチナの女性や子どもたちを取材し、
『ガーダ パレスチナの詩』『ぼくたちは見た ガザ・サムニ家の子どもたち』を監督。
著書に『パレスチナ 瓦礫の中の女たち』(岩波書店)など。
 
ドキュメンタリー映画を通して、
パレスチナの女性や子どもたちの姿を伝えてきた古居さん。
東日本大震災後にカメラを向けたのは、
原発事故で全村避難を強いられた福島県飯舘村の女性たち。
古居さんは親しみを込め、「母ちゃん」と呼びます。
【のんびるインタビュー】
飯舘村の母ちゃん今、あらためてそれぞれの歳月を
古居みずえさん(フォトジャーナリスト、映画監督) 

<取材は行き当たりばったり>

─2023年3月、最新作『飯舘村 べこやの母ちゃん─それぞれの選択』が公開されました。
全3章、3時間の大作です。
 
震災の翌月からカメラを回し始めたので、完成まで12年もかかりました。
期限の決められた作品づくりができないんです。取材も行き当たりばったり(笑)。
出会いがあって、そこから物語が生まれるのがドキュメンタリーの醍醐味です。
「飯舘村の母ちゃん」をテーマにすることは決めていましたが、
誰を主役にするか、なかなか決まりませんでした。
 
─2016年に第1作『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』が完成、劇場公開されます。
 
牛飼いの中島信子さん、長谷川花子さんを取材するなかで、
仮設住宅で暮らす菅野榮子さん、菅野芳子さんと出会ったんです。
淡々として地味な暮らしだけれど、方言で話すふたりの会話が漫才みたいで面白い。
そこで1作目は、榮子さんと芳子さんの日常を描きました。
 
今回の第2作では、3人の牛飼いの母ちゃん、
信子さん、花子さん、原田公子さんの行く末を追いました。
新型コロナのあいだに、撮りためた映像を編集しました。
その仕上げの段階で、椎間板ヘルニアを発病し、手術を受けたんです。
 
─製作費はすべて「映画『飯舘村の母ちゃん』制作支援の会」のカンパだったとか。
 
お金だけではなく、取材インタビューの文字起こし、
取材先への車の送迎、宣伝までやってくれました。
スタッフや制作支援の会の皆さんの協力がなければ、完成は無理でした。
今は劇場公開がだいたい終わり、自主上映を広げています。
英語版も製作中で、海外の映画祭に出品する予定です。
 
─古居さんの作品は、字幕やナレーションがほとんどありませんね。
 
映像に集中してもらいたくて、字幕は最小限にとどめ、
ナレーションも入れていません。音楽もほとんどいれません。
母ちゃんたちの語り、牛の鳴き声に耳を傾けてほしい。
 
私の作品は「メッセージ性が薄い」と言われることがあります。
そこは、観た人それぞれに託したい。
私の考えや主張よりも、それぞれの人生と生き方を伝えたい。
ガーダ(※1)のその後も撮るつもりですが、それには時間もかかります。
相手の人生をじっくり追いながら、私も老いていく。
もうちょっとがんばらないといけませんね(笑)。
 
(※1)ガザ地区の難民キャンプに生まれ育ったパレスチナ女性。
第1次インティファーダ(民衆蜂起)のさなかに青春を送った。
映画『ガーダ パレスチナの詩』の主人公。
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