すべての人たちに開かれた「復興」とは 「ここで暮らしつづけてよかったと感じる町」(連載/被災地は今より) 

双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」1 階には3・11関連の写真パネルが展示されている 写真提供:一般社団法人Teco

東日本大震災10 年の節目に、2号連続で福島県の「復興」を取り上げてきました。
最終回の今回は、本誌連載コラムでおなじみの哲学者内山節さんの論考を引用しながら、
「真の復興とは何か」を考えてみます。

被災地は今 福島県 最終回
すべての人たちに開かれた「復興」とは 
ー 「ここで暮らしつづけてよかったと感じる町」

 

復興のグランドデザインは文学的に書く
哲学者の内山節さんは東日本大震災後、
「復
興のグランドデザインは文学的に書かれなければいけない」と述べました。
「文学的といっても、そんなに難しいことをいっているつもりはありません。
『海とともに暮ら
す町』でもいいし、
『海から渡ってくる風に満ち
足りたものを感じ町』でもいい。
『子どもたち
の遊ぶ姿が見える町』でも、
『亡くなるときにこ
こで暮らしつづけてよかったと感じる町』でもいい」
(『内山節のローカリズム原論』農文協)

10年過ぎた今、福島の放射能汚染地区にこうした日常光景は広がっているのでしょうか。
もちろん、否です。


双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」
1 階には3・11関連の写真パネルが展示されている 写真提供:一般社団法人Teco

 いわき市在住の元学習塾経営者で、
この福島シリーズの取材を手伝っていただいた遠野利彦さん(71歳)がこう話します。
「東京オリンピック・パラリンピックの聖火リレーをご覧になりましたか。
スタート地点のJヴィレッジに続いて映し出されたのは双葉町のJR駅前です。
駅舎も駅前広場もそれはきれいにリニューアルされて、
あたかも双葉町はすっかり復興したかのような演出がなされていました。
けれど、一歩裏に入れば様相はがらりと変わります。
10年前の被災時のまま放置された家屋や商業ビルが無惨な姿をさらしています。欺瞞です。
福島を、とくに帰還困難地域をダシに復興をアピールするあざとさには本当に怒りを禁じえません」


復興とともに生きたという自己諒解
最後に、福島シリーズのまとめとして、
「復興
とはなんだろう?」を、
ふたたび内山さんの言
葉を借りながら問い直してみます。

いわき市内の復興団地に住む志賀文清(81歳)さん。
避難者の笑顔を取り戻したいと79歳で初めてマジックを習得し、
仮設住宅や保育園などの施設を回って披露した。
「浪江町原発訴訟原告団」の役員も務め、多くの避難者の心の支えとなっている
写真提供:一般社団法人Teco


内山さんは前掲書の中で、
「それ(復興)はすべての人たちに開かれていなければなりません」と言います。
それは「…いま大震災で被災した人々のなかにはさまざまな人たちがいるからです。
幼児も、若者も、高齢者も、障害者も、
介護を必要としている人たちも被災者の中には含まれています。
そのすべての人たちのなかに、
復興は存在していなければいけないのです…。」

そして「町の建物が立ち並び、道路や鉄道ができ、職場や学校が展開している、
復興とはこ
ういう景色が生まれることだと思っているかもしれません。
たしかに最終的には、こんな景色
ができていかなければならないでしょう。
しか
しそれは復興の結果であって、復興それ自身ではない。
そのことを私たちは間違えてはいけ
ないのです」。

 

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