【のんびるインタビュー】七月、牛久の入管で

たなか・きみこ 
1952年茨城県生まれ。
1986年、つくば市にコーヒー&ランチの店「啄木鳥」開店。
1995年、「牛久入管収容所問題を考える会」発足。
2011年、東京弁護士会は同会に人権賞を授与。
聞き手・構成/濵田研吾 写真/堂本ひまり

茨城県牛久市にある東日本入国管理センター(※1)
通称「牛久入管」には、難民申請者を含む多くの外国人が収容されています。
つくば市で喫茶店を営む田中喜美子さんは、店が定休日の毎週水曜に入管へ通い、
収容者との面会を約30年間、続けています。

【のんびるインタビュー】
七月、牛久の入管で
田中喜美子さん(牛久入管収容所問題を考える会 代表) 

<「家族を置いて、国に帰れ」>

─私も今日、面会に同席させていただき、管理の厳しさにまず驚きました。  

収容された部屋から、鍵を8個か9個くらい開けないと、
面会室まで来ることができないそうです。
「誰でもいいから面会したい」は許可されず、
「面会許可・物品授与許可申出書」には被収容者の氏名と国籍(地域)、
面会する側の個人情報と身分証明書の提示が求められます。  

面会は1人30分以内で、1人につき1日1回、同じ日に連続しての面会はできません。
撮影と録音は禁止で、スマホやパソコンなどの電子機器の持ち込みもできません。
メモをとることはOKで、差し入れは入管側の条件に即していれば認められます。  

私の場合、午前に3人、午後に3人と面会することが多く、
できるだけ何度もお会いして、顔見知りになるようにしています。
「○○さんと面会してほしい」
と別の収容者や支援者仲間から紹介されることもありますが、
面会に応じるかは本人の意思です。 
─さきほど面会に同席したのは、パキスタンのAさん、マレーシアのBさん、
ブラジルのCさん、南アフリカのDさんの4人です。  

今日初めて面会に同席されて、どんなことを感じられましたか。
─初対面の私にも必死に訴えかけ、ショックと憤りと悲しみが混ぜこぜの気分です。
「ありがとう」と皆さん面会室から出ていきましたが、
その後ろ姿が忘れられません。 

Aさんはパキスタン国籍のカシミール人で、安否確認のため、
毎週最初に面会希望を出すんです。
難民申請は受理されず、牛久での収容は9年目に入ります。
車いすの生活で、収容当初から45キロも痩せました。
入管側の食事(官給食)を拒み、支援者の差し入れに支えられています。
元軍人で誇りが高く、気迫だけで生きている。
Aさんなりに、日本政府と闘っているのかもしれません。
健康状態がとても心配で、このままでは亡くなってしまいます。
「一刻も早く入院させるべき」と弁護士を通じて入管側に申し入れをしています。 

─Dさんは「3人の子どもを日本に置いて、国に帰れと言われた」と訴えていました。  

日本に家族がいる人、強制送還(強制退去)されたら政治思想の罪で殺される人、
出身国が受け入れを拒否している人など、事情は人それぞれです。
それを考慮せず、有無を言わさず入管に収容する「全件収容」と
「6ヵ月以上の長期収容」を私たちは問題視しています。
仮放免(※2)されてからも大変ですが、まずは入管から出ることが先決です。 

(※1)1993年開設。収容定員は700名、
新型コロナウイルス感染拡大前までは300名内外を収容、
取材時は35~36名を収容(すべて男性)。出入国在留管理庁管轄。
 
(※2)請求または職権により一時的に収容を停止し、
一定の条件を付して身柄の拘束を仮に解く制度。
仮放免に際しては身元保証人および保証金が必要になる。
 
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【はじめる!情報】
牛久入管収容所問題を考える会では「あらゆる難民を受け入れる」
「全ての収容・強制退去をやめさせる」との立場から、
牛久入管に収容されている外国人への支援活動を続けています。
ウェブサイトでは、活動報告やカンパ、ボランティアに関する情報を公開。
いただいたカンパ(郵便振替口座00130-7-90248)は、
収容者への差し入れなどに活用させていただきます。
お問い合わせ 【Eメール 】ki_ushikunokai@yahoo.co.jp
http://ushikunokai.org 
 

 

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