
ありもと・なおみ 2014年に進行性の難病と診断。翌年から車いす生活に。 障害者雇用で企業に就職したものの理解が得られず退職。18年にネイルサロンを起業し、 ビーチクリーン活動に参加したのを機に「海ごみネイル」を生み出す。
新しいアクションを起こしている人に注目する連載「動くヒト」。今回は、難病となり障害者就労の課題を実感したことからネイルサロンを起業した有本奈緒美さん。障害者の社会参画や海の環境問題に取り組んでいます。
文/中村未絵 写真/堂本ひまり
11年前に難病で車いす生活に
湘南エリアとして知られる神奈川県茅ヶ崎市。ネイルサロンの看板を目印に一軒家のインターホンを押すと、「はーい」と笑顔で出迎えてくれたのは有本奈緒美さんです。車いすユーザーである有本さんにあわせて、駐車スペースから部屋まで段差がまったくないバリアフリーで建てられたご自宅の1階に、ネイルサロン「Plumeria Nail」はあります。
有本さんが進行性の難病と診断されたのは、約11年前のこと。
「障害者施設で職業指導員として働いていたときに難病の診断を受けました。間もなく歩行が難しくなって車いす生活になりました」
最初は病気や障害を受け入れることができず、「支援する側」から「支援される側」になった戸惑いも大きかったと振り返ります。「症状が進行して仕事を辞めたのですが、ずっと働いてきたのに急に何もなくなってしまった。同時期に車いすを使うようになって、生活が180度変わりました。当時の自宅はバリアフリーではなかったので、一人では外出もできない。子どもが3人いるのですが、保育園の送り迎えもできなくなりました」
そのときのことを「人生のどん底」と表現する有本さん。家に引きこもりがちになり、「生きてる意味がどこにあるんだろう」と自暴自棄になったと話します。
「あるとき、子どもが小学校から授業参加のお知らせをもらってきたんです。でも、私は行けないから『お母さんのこと恥ずかしいんでしょう』とつい子どもに当たってしまった。そうしたら、子どもが『ママはどんなふうになってもママでしょう、だって頑張ってるじゃん』って。その言葉を聞いた瞬間、私のなかでスイッチが切り替わりました」
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