【インタビューコロナと映画②】ふと流した 保健師の涙の 裏側に 宮崎信恵さん (『終わりの見えない闘い  新型コロナウイルス感染症と保健所』監督)

みやざき・のぶえ さん
1942年生まれ。教育映画の編集助手、映画・テレビドラマのスクリプターなどを経て、2004年にピース・クリエイト㈲を設立。福祉関連の教育映画・教材ビデオを手がける傍ら、高齢者や障がい者の尊厳に視点を当てた作品を発表。
監督作品に『無名の人〜石井筆子の生涯〜』『あい 精神障害と向きあって』など。
写真提供/ピース・クリエイト(有)


インタビュー
ふと流した 保健師の涙の 裏側に 
宮崎信恵さん(『終わりの見えない闘い  新型コロナウイルス感染症と保健所』監督)

地域保健の要であり、公衆衛生の最前線である町の保健所。
新型コロナウイルスの感染拡大で地域が混乱するなか、
保健所で何が起き、保健師や職員は何を思ったのか。
それを伝えた一本のドキュメンタリーが、私たちに問いかけるものとは─―

 

感染の怖れを抱きながら撮影

『終わりの見えない闘い 新型コロナウイルス感染症と保健所』より
©ピース・クリエイト

─コロナ対応に追われる中野区保健所(東京都)に密着した
『終わりの見えない闘い 新型コロナウイルス感染症と保健所』を製作・監督され、
拝見させていただきました。

宮崎:仕事を通じて知り合った工藤恵子さん(※1)から、
「保健所が大変な状況に置かれている」とメールが届いたのが始まりです。
「これは何とかしないといけない」と工藤さんは、
これまでの私の仕事に共感を抱き、声をかけてくれたのかもしれません。

─オファーを受けて、迷わず引き受けようと。
宮崎: 自宅と保健所を行き来するときに感染するかもしれませんし、
あの頃はコロナのこともよくわからなかったので、感染への心配や恐怖は強くありました。
それでも、保健所への関心は強かった。新型コロナウイルスは、世界を揺るがす大事件です。
映像に携わる者として記録し、伝えたい想いが強かった。
介護していた母(※2)を一昨年、看取ったことも大きいです。
「今の自分なら、撮り切れるかな」と。

─混乱する保健所をよく撮影できましたね。
宮崎:そのためにも保健師や職員との信頼関係が問われました。
何かトラブルが起きても取材が続けられたのは、関係を築けていたからです。
夜食を差し入れしたり、撮影のない日もできるだけ通いました。
「もう来ないでほしい」と言われたときは、時間をかけてじっくり話し、
「ここでやめるのはもったいない」と説得しました。
「私たちも命を賭けて撮っています」と言ったこともあります。 

(※1)帝京平成大学ヒューマンケア学部 看護学科教授、公衆衛生保健所活動研究会メンバー。本作の企画・製作に携わる。
(※2)新劇女優の神田時枝。戦前から舞台や映画で活躍し、地元の神奈川県三浦市で市民劇団「海」を主宰。
   2018年5月号「百まで生きる?80歳でも起業、恋愛、学び」掲載。2019年12月、100歳で死去。

…インタビューの続きは のんびる 11・12月号  にてご購読ください。

 

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