福島をいちばんよく知る 外国人になります 復興支援と地域おこしに関わって11年 「ふくしま12市町村移住支援センター」 徐 銓軼さん(連載/被災地は今 福島県奥会津三島町より) 

2019年秋、三島町の2つ隣町の只見町での親子稲刈り会。 徐さんも子連れで参加。只見町の農業関係者とゆかりのある方々が全国から駆け付けた。


東日本大震災から10年を迎えた今年の7月、
福島県は「ふくしま12市町村移住支援センター」を開所しました。
震災と原発事故で被災した同県12市町村への移住・定住を促進するための機構ですが、
そこに、福島という地に惹かれ、
かれこれ11年も福島に関わってきた一人の中国人青年の姿がありました─。

被災地は今 福島県奥会津三島町

福島をいちばんよく知る 外国人になります
復興支援と地域おこしに関わって11年
「ふくしま12市町村移住支援センター」 徐 銓軼さん


「福島から逃げた」という後悔の念

上海出身の徐銓軼(37歳)さんと福島との出会いは、
徐さんが上海にあった福島県上海事務所に採用された12年前にさかのぼります。  
徐さんは上海の高校を卒業した後、京都の立命館大学に入学、産業社会学部人間福祉学科で学びます。
大阪の親戚宅に下宿し、京都に通う日々。
新聞配達とファストフード店でのアルバイトに精を出しました。

アルバイト先での失敗を繰り返しながらも日本が大好きになった徐さんでしたが、
日本での就職はかなわず、帰国して就職したのが福島県事務所だったのです。
「折悪しく、リーマンショックの年で、卒業しても日本での就職は無理でした。
帰国して最初に面接を受けたところが同事務所で、
紆余曲折を経て採用してくださいました。それも運命の導きです」  

同事務所での最初の福島出張が、入所2年目の2011年3月10日でした。
翌11日、福島での仕事を終えて新幹線で大阪に向かう途中、
静岡あたりで東日本大震災の発生を知りました。
「間一髪、私は被災を免れたわけですが、
ずっと『福島から逃げた』という後ろめたさが残り続けました」

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2019年12月、東京都内で開催された「ふるさと回帰フェア」で名産品を販売する徐さん。
移住相談会も実施した。来場者は15000人弱にのぼった。

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