【のんびるインタビュー戦後78年、夏】この船が伝える今と、未来と 

はすぬま・ゆうすけ 
1990年群馬県生まれ。明治学院大学国際学部卒業。
公益財団法人「第五福竜丸平和協会」事務局次長、
「都立第五福竜丸展示館」学芸員を務めながら、核廃絶・平和活動に取り組んでいる。
インタビュー・文/濱田研吾 写真/堂本ひまり

太平洋のマーシャル諸島(※1)にあるビキニ環礁で、
アメリカが水爆実験を行ったのは1954年3月1日。
「第五福竜丸」をはじめ、多くの漁船が被ばくした「ビキニ事件」から来年で70年。
数奇な運命をたどったこの船が示す現在、そして、未来とは。

【のんびるインタビュー戦後78年、夏】
この船が伝える今と、未来と 
蓮沼佑助さん(都立第五福竜丸展示館 学芸員) 

<「第五福竜丸」との出会い>

─蓮沼さんは平成生まれですが、学校の授業で「第五福竜丸」のことは習いましたか。

教科書に載っていましたが、授業では簡単に学んだだけです。
先生が「ビキニ事件」の資料を用意してくれたり、
当時を知る人から話を聞く機会もありませんでした。
展示館は子どものころに一度見学していますが、
「大きな船があった」くらいの印象しかなくて……。
─核兵器の問題には、大学時代から関心があったそうですね。

はい。世界各地の紛争問題を学びたくて、
「国際平和研究所」のある明治学院大学に進みました。
イラク紛争では劣化ウラン弾が使われ、
被ばくした多くの子どもたちが小児がんになりました。
そのことが核について考える、最初のきっかけです。  
大学時代は、平和研主催のシンポジウムに関わるなど、
学生なりに平和活動を続けました。
2012年には「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」
(国際交流NGOピースボート主催)に参加しました。
フランスの核実験で被ばくしたタヒチを訪れ、
広島・長崎の被ばく者と現地の被ばく者が交流されました。
─それが今の仕事につながった。

大学3年の時、「3・1ビキニ記念のつどい」
(第五福竜丸平和協会主催)に関わったのが、
第五福竜丸との出会いです。
展示館の仕事には大学時代から関わっていて、
卒業後に学芸員資格をとり、2015年から学芸員として働き始めました。  
─展示館には、蓮沼さんのような学生も多く訪れるのではないですか。

ビキニ事件や展示館の活動に関心をもって来てくれる学生は多いです。
ただ、授業で忙しくなったりすると、なかなか関係が続きません。
そこで「福竜丸サポーターズ」と名付け、
その場かぎりで終わらない仕組みづくりをSNSなどで構築しています。  
学びたい学生がすぐにアクセスできる場は、
展示館のあり方を考えるうえでも重要です。
私自身、大学時代の出会いと体験が今につながっているので、
何かあれば学生に手をさしのべる存在でありたいです。
(※1)ミクロネシアの東端に位置し、29の環礁と5つの島からなる。
戦後はアメリカが管理する国連信託統治領とされ、1986年にマーシャル諸島共和国として独立した。
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【はじめる!情報】第五福竜丸展示館
〒136-0081東京都江東区夢の島2-1-1 夢の島公園内
【開館時間】9:30~16:00
(月曜休館、祝日は
月曜開館・火曜休館/入館無料)
【アクセス】JR京葉線・東京メトロ有楽町線・りんかい線新木場駅より徒歩10分
【TEL】03-3521-8494
【Eメール】fukuryumaru@msa.biglobe.ne.jp
 

 

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