草原と海、福島再生の足掛かりを訪ねてーあらためて「復興」とは何かを(連載/被災地は今 福島県第2回より) 

今年の干支は、牛。
10年前、放射能をたくさん浴びた牛たちが今も元気に草を食んでいます。
なぜ、この牛たちの命は救われたのか? 奇跡をつくった牧場を訪ねました。
一方で、海。
こちらでは、放射能汚染水(処理水)の海洋放出が始まろうとしています。
福島の復興には条理と不条理が錯綜します。

被災地は今 福島県第2回

草原と海、福島再生の足掛かりを訪ねてーあらためて「復興」とは何かを

牛は殺せない「希望の牧場・福島」


事故後、吉沢さんは全国をまたにかけ抗議行動と講演会活動に励んできた。
東京の繁華街、国会前、各地の小・中・高校。
涙を流す聴衆といっしょに吉沢
さんも泣いた

福島県浪江町は2011年3月の福島第一原発事故により全町民が町を追われました。
その無人の町の牧場で牛を飼い続けた「牛飼い」がいます。
吉沢正巳さん(66歳)です。

吉沢さんの管理する牧場は、原発事故前は「エム牧場浪江農場」という名前でしたが、
今、牧場入り口に立つ看板には「希望の牧場・ふくしま」と書かれています。

全町民に避難指示が出た浪江町、
いったい誰のための「希望」なのでしょうか……。

「現実には死と隣り合わせの警戒区域だし、放射能を浴びて経済的価値を失った牛を飼い続ける、
生かし続ける意味は見つけられない、それでも俺には、牛は殺せない」と吉沢さんは語ります。

 

海に入れないのは死活問題
海洋関係事業者の苦衷


次に向かったのは、いわき市の唯一のサーフボードショップ「WAVE VISION」。
いわきの海岸は知る人ぞ知るサーフィンの穴場なのです。
汚染水の海洋放出を目前にして影響はどうなのでしょうか。

オーナーの小林裕一朗(58歳)さんは、
1980年代前期の第一次サーフィンブームのころから
サーフボードの製造・販売を続けてきたベテランサーファーです。

「海洋放出で海に入れなくなるのは死活問題、でも半分諦めている。
漁師さんたちは声を上げれば補償もあるんだろうけれど、私らは蚊帳の外。
汚染水を海に流す、流さない、いろいろ考えはあるんだろうけど、
私らの声はほとんど届かない。イエスもノーもないんですよ」

潮焼けした精悍な顔からは想像できない弱気とも見える発言。
苦笑交じりです。

いわき市の唯一のサーフボードショップ「WAVE VISION」。
オーナーの小林裕一朗さんは著名なサーファーでもあり、
腕のいいサーフボード職人でもある。

 

・・・続きはのんびる 3・4月号

この記事は、3・4月号特集でご紹介しています。
◆『のんびる』2021年3・4月号 
目次

◆ただいま注文受付中!こちらからお申込ください。

 

 

 

関連記事

ページ上部へ戻る