被災地は今:特別編

荒川放水路にかかる「旧岩淵水門」。大正13 年完成。荒川が氾濫しても、隅田川に流れる流量を調整して隅田川の洪水を防ぎ、流域の町を守る目的があった。現在は新しく建設された「新岩淵水門(青い水門)」にその役目を譲っている。


荒川が氾濫したら、「日本沈没」の再来か
  ━ 首都圏の大規模水害に備える一助に

首都圏を超大型台風が襲った場合、
誰しも心配するのは「海抜0メートル地帯」と呼ばれる東京下町の浸水被害です。

しかし、それにとどまるのでしょうか。
毎年のように大規模な豪雨台風が発生する今、
あらためて、首都圏浸水の恐ろしいリスクを考えてみました。
キーワードは「荒川氾濫」です。

もし、荒川の堤防が決壊したら

荒川放水路にかかる「旧岩淵水門」

観ると鳥肌が立つ1本の動画があります。
国交省荒川下流河川事務所のつくったフィクションドキュメンタリー「荒川氾濫」です。
大型台風の襲来により荒川上流で3日間に500ミリを超える豪雨となり、
東京都北区の岩淵水門付近の荒川堤防が決壊すます。

荒川放水路は人工河川だった

 


荒川と隅田川周辺の様子。岩淵水門の位置がいかに大切かがわかる。
(国土交通省 関東地方整備局
荒川下流河川事務所制作パンフレットより)

荒川の氾濫は今に始まったことではありません。
利根川と共に、江戸の昔からたびたび氾濫し、
流域の住民を苦しめてきました。
とくに明治40年と43年に起きた荒川の氾濫では、
近代国家の帝都建設にまい進していた
東京下町の工場群や市街地に大きな打撃を与えました。

これをきっかけに、荒川の進路を変える新しい川を掘削し、
氾濫水が隅田川に流れ込まないように岩淵水門を建設するなど、
大規模な荒川放水路開削工事が明治44年(1911)に始まり、
20年の歳月をかけて昭和5年(1930)に完成しました。
つまり、今首都圏の皆さんが普段荒川と呼ぶ川は上流の本川ではなく、
こうして開削された人工の放水路のことなのです。

首都の中枢を襲う暴れ川をどうなだめるか

人類の歴史は治水の歴史でもあるといわれます。
暴れ川をどうなだめるかは、古来、為政者の大きな政策課題の一つでした。
台風豪雨が人智で防げない以上、河川の氾濫をなだめる以外に道はないのです。

・・・続きはのんびる 11・12月号

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荒川放水路についてもっと知りたい方は、
荒川放水路に関わる歴史的展示物や災害情報が充実する展示施設「荒川知水資料館(アモア)」
(月曜休館)をお訪ねください。

※現在はコロナ禍のためにすべてネットでの予約制になっているのでご注意を。
【予約】amoa@ecosys.or.jp
【TEL】03-3902-2271
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この記事は、11・12月号特集でご紹介しています。
◆『のんびる』2020年11・12月号 
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