【のんびるインタビュー】サカナノミライはヒトノミライ 

うおたに・ひろし
1979年兵庫県生まれ。大学卒業後、四国を拠点とする飲食企業に勤務。
2011~14年、宮城県石巻市で復興支援や地域再生に携わる。2016~21年、
東京都中野区で「宮城漁師酒場 魚谷屋」運営。2022年、調布市に「サカナノミライ」を開店。

撮影/堂本ひまり

 
 

調布市にある”海のそうざい”の店「サカナノミライ」。
宮城をはじめ、各地の漁師から直接仕入れた海の祥が味わえます。
この店には海で生業をたてる人、そして、子どもたちのミライがつまっています。

 

サカナノミライはヒトノミライ
魚谷浩さん(「サカナノミライ」オーナー)

<ふたつの震災を通して>

─苗字が「魚谷」とはぴったりですね。  
魚のために生まれてきたような名前ですが、両親や祖父母は誰も魚に関わっていません。
でも、先祖をたどれば何か関係があるでしょうね。
瀬戸内海の本州側、大阪から山口にかけては「魚谷」性が多く、魚を生業にした人たちの名残りかもしれません。

僕の地元は神戸市東灘区で、今日(※1)は朝から28年前の阪神・淡路大震災のことを思い返していました。
当時中学3年生で、東灘区は甚大な被害を受け、同級生も何人か亡くなりました。

─長く勤めた飲食関係の会社を辞め、飲食店の開業を目指していたときに東日本大震災が起きたそうですが。  
当時は魚への思い入れはあまりなかったんです。
そんな自分を東北の震災が大きく変えました。
神戸の震災でボランティアの方々に助けてもらった記憶がよみがえり、
自分にできることはないかと4月15日に宮城に入りました。
石巻を活動拠点とするNPO団体に登録して災害支援ボランティアになり、
2週間ほどボランティアをしたあと、独立の準備を始めるつもりでした。

ところが被災エリアが広く、期限を設けずにボランティアに専念することに決めたんです。
現地の復興支援NPOの責任者として活動していくなかで、水産関係者との出会いが増えました。
過疎や後継者不足など、海と魚をめぐる根深い問題が見えてきた。
海と東北の魅力を広く発信すれば、その課題を解決する糸口になるのでは、
との気持ちがふつふつとわいてきました。

─2015年まで石巻で暮らし、翌年上京されます。  
地元のNPOから離れたあと、牡鹿半島の蛤浜再生プロジェクトに関わり、
市民の目線で小さな集落のために動きました。そこで漁師との関係が広がったんです。  
漁船に乗せてもらい、牡蠣の定置網漁を手伝ったりしていると、漁師の人たちがカッコいいんですよ。
経験で天気や海の荒れ模様を判断したり、そうした姿に人間らしさや人柄の魅力を感じました。  
こうした漁師の魅力を広く知ってもらうには、人の多い東京で活動するのがいい。
「フィッシャーマン・ジャパン」(※2)に関わっていた関係で、
その直営店として2016年に「宮城漁師酒場 魚谷屋」を開店しました。

(※1)本インタビューは2023年1月17日に実施しました。
 
(※2)世界三大漁場の三陸の海で活躍する若手漁師が、地域や業種の枠を超え、東北から次世代に続く水産業の形を提案するグループ。

 

…インタビューの続きは のんびる 3・4月  にてご購読ください。

 

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