【のんびるインタビュー】核廃絶を今、広島から 田中美穂さん(「カクワカ広島」共同代表)

「カクワカ広島」がICANのパートナー団体に登録した際の一枚。写真右が田中美穂さん   
写真提供/カクワカ広島   

たなか・みほ さん
1994年福岡県生まれ。西南学院大学在学中にアメリカに1年間留学。
就職を機に広島へ移り、ICANキャンペーンニュースの翻訳や
「カクワカ広島」の立ち上げに関わる。
現在はメーカー勤務の傍ら、広島で各廃絶・平和活動に取り組む

 

「核兵器禁止条約」(※1)が国連で採択・発効されたものの、
日本政府は批准せず、核抑止・核共有を求める声も出ています。
学生や会社員、カフェ店員など若い世代が集い、
核廃絶の実現を求め活動する「カクワカ広島」
(核政策を知りたい広島若者有権者の会)
の田中美穂さんに、率直な思いを語ってもらいました。

 

核廃絶を今、広島から 
田中美穂さん(「カクワカ広島」共同代表)

 

──「カクワカ広島」に関わるきっかけから、まずお聞かせください。

田中:安全保障や核政策を研究する大学時代の友人に会うため、

「8.6ヒロシマ国際対話集会 半角の夕べ2018」に参加しました。

そこでICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)国際運営委員の川崎哲さんから、

「グローバル被爆者」(※2)の話を聞き、衝撃を受けたんです。
集会のあと、「広島で暮らす私に何かできますか」と川崎さんに声をかけました。

その縁でICANのキャンペーンサイトの翻訳を始めました。

大学で英語を先行し、自分の得意なことで関われることが嬉しかった。

サイトを訳しながら、核兵器のことを私自身、学んでいきました。 

 

──そこから人のつながりが生まれていくわけですね。


小泉
:ICANのスタッフの方、被爆者団体の方、平和活動する同世代の人たちと出会いました。

同じころ、77年前に広島で被爆したサーロー節子(※3)さんが来広され、お目にかかったんです。

世界で被爆証言されるサーローさんは、「核のない世界を祈っています」とよく声をかけられるそうですが、

「祈るだけではなく、『私も何かやります』と言ってほしい」と。

その言葉にハッとさせられました。

私も平和な世界を望みつつ、「祈っています」と言っていたかもしれません。

サーローさんのことばに、広島にいる他の若い世代も刺激を受けていました。

そのメンバーと意気投合して生まれたのが、「カクワカ広島」です。

…インタビューの続きは のんびる 7・8月号  にてご購読ください。

 

(※1)2017年、国連加盟国の6割を超える122ヵ国の賛成により採択。2020年には批准国が発効
要件の50ヵ国に達し、2021年1月に発効した。

(※2)広島・長崎の原爆投下、チョルノービリ(チェルノブイリ)・福島の原発事故、核実験やウラン採掘・核廃棄物処理場での被爆など、

歴史や各国の差異に留意しつつ、地域の特殊問題としてではなく、核被害の問題を横断的に捉えた言葉。

(※3))Setsuko Thurlow 1932年広島市生まれ。
広島で被爆し、現在はカナダで暮らしながら反核・平和活動を続けている。

 

この記事は、7・8月号特集でご紹介しています。
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