pagetop

ホーム > 「活動のジャンル」 > 「高齢社会」 のブログ記事一覧

文字サイズ

活動のジャンル > 「高齢社会」 のブログ記事一覧

12件中 1〜12件表示

ブログ記事を探す

『のんびる』12月号取材より―おもとくらぶ

omoto1.jpg
“万年青”と書いて“おもと”と読みます。昔から不老長寿の縁起物といわれ、徳川家康も江戸城に入る時に携えていったということから、引っ越し祝いなどに贈られることも多いといいます。
我が家の玄関先のおもとも、引っ越しの時に頂いたもの。もうすぐ、この実が真っ赤になります。


12月号『のんびる』の取材先の“おもとクラブ”は、高齢者が不安や情報を共有して、そこから学びを深め、高齢者がいきいきと暮らすことを目指しています。

代表の嘉成勝子さんが「身の丈にあった小さな市民活動」とよぶその活動は、お互い顔の見える関係であることが大切だといいます。

今月のキーワードは“顔の見える関係”です。

2008-11-28 17:07:20 この記事のURL誰でも通る、延命治療、終末期医療

介護保険を知ろう(5)―ケアプラン自己作成、いよいよ実践

介護保険を利用する時に必要な、ケアプランを自分で作るにはどのようにすればよいのかを今まで見てきました。
いよいよ、実践!
プランが必要になった時の私を想定してみました。

例)私78歳、独り暮らし
昨年、旅行先で転倒し大腿部骨折。以来、家に閉じこもりがち。独り暮らしで、食事も好きなものに偏りがち。気力もなくなり、うつ状態に陥ることもある。病院で薬を処方されているが、うつ症状が強い時は、外出が出来ず病院にも行かないことがある。

2008-11-22 01:06:22 この記事のURL誰でも通る、延命治療、終末期医療

介護保険を知ろう(4)―ケアプラン自己作成・見えてきたもの

介護保険を知るためにと始めたケアプラン自己作成。
ケアプランを作るためには、まずは自分を知ることだと書いてある本を見つけました。

でも、自分を知るって何をどうすればいいのと思い悩んでいた時に見つけたのが『マイライフプランの玉手箱』です。(以下、玉手箱と呼びます)

この玉手箱の中には
・過去の自分
・今の自分
・未来の自分
が入っています。
“ケアプラン自己作成―その前に”を、参照して下さい

2008-11-14 21:45:57 この記事のURL誰でも通る、延命治療、終末期医療

介護保険を知ろう(3)―ケアプラン自己作成・その前に

ケアプラン自己作成をしようと、市役所から資料を送付してもらったけれども、この資料だけでは何の事かわからず、とまどうばかり。
そもそもこの面倒そうな作業を自分でするメリットとは何なのでしょうか。

2008-10-31 22:46:47 この記事のURL誰でも通る、延命治療、終末期医療

介護保険を知ろう(2)―ケアプラン自己作成(市役所に問い合わせる)

ケアプランを自分で作れるという事を知り、市の介護保険課へ電話。さっそく、資料が届きました。
DSC01836.jpg

最初のページに、“ケアプランは誰がつくるの?”という項目があります。
そこには、二つの方法があると書かれています。
一つは、ケアマネージャーと一緒に立てる方法、そしてもう一つは、利用者自身が立てる方法の二です。
そして、ほとんどの方はケアマネージャーと一緒に立てますとも書かれています。

えっ? これって“自己作成のための資料”じゃないの?

2008-10-24 16:14:12 この記事のURL誰でも通る、延命治療、終末期医療

介護☆同行二人<劇:わたしら、食べてないよ〜>

認知症の高齢者が多く入院している病院の食堂のお昼時

登場人物
明るくて、いつもハツラツとお話しをするみさこさん
身体の左半身が麻痺している、怒りっぽいけど笑顔が素敵なけんすけさん
むっつりとして殆どしゃべらないとみいちさん
要介護4で、歩行も食事をとるのもおぼつかなくなっているとしおさん
としおさんの妻のかずみさん
ヘルパーさん

みさこさん、けんすけさん、とみいちさん、としおさんの四人が、食堂のテーブルを囲んでいる。

としおさんだけが、おかゆをこぼしながらもくもくと食べており、他の三人は何もなく、それぞれ手持ち無沙汰の感じである。

そこに、かずみさんがやってきた。

みさこさん(かずみさんを見て)「あ、きたきた〜!」
けんすけさん「あ、きたきた〜!」
とみいちさん「・・・・・・・・」(むっつりしたまま)
としおさん「・・・・・・・・」(我関せずとただもくもくとごはんを食べている)
かずみさん「こんにちは〜」(夫のとしおさんの横に来る)

かずみさん「あれ?」
(みさこさん、けんすけさん、とみいちさんの前には何もないことに気がつく)
かずみさん「みなさんは、もうお食事終わったんですか?」
みさこさん「わたしら、ごはんもらってないのよ」
かずみさん「えー!? そんなはずないでしょ? もう食べ終わったんでしょ?」
みさこさん「ううん、わたしら三人、食べてないよ〜、もらってないよ〜、ね〜」

(みさこさんは、目を丸くし真剣な口調で、けんすけさんととみいちさんに同意を求める)

けんすけさん「そうだよ、食べてないよ〜、もらってないよ〜」
とみいちさん「・・・・・・・ん」(むっつりとしたままわずかに頷く)

かずみさん(困って)「そんなはずないですよ〜、食べたの忘れちゃったんでしょ〜」
みさこさん「そんなはずあるのよ、わたしら三人、もらってないの、ね〜」

(より真剣になり、再びけんすけさんととみいちさんに同意を求める)

けんいちさん「そうだよ、そんなはずあるよ」(むかついたって顔)
とみいちさん「・・・はずある・・・・・よ」

かずみさん(ますます困って、もくもくと食事中のとしおさんの顔をのぞくように見て)「みなさんは、もう食べ終わったのよね、そうでしょ?」

としおさん(周りの声を聞いていないように、ひたすらスプーンの流動食をこぼしながら口に運んでいる)

(みさこさん、けんすけさんは、としおさんの返事を聞こうと、じいっととしおさんの方を見る。とみいちさんも、表情はむっつりと変えないが、視線はとしおさんの方に向けている。漂う緊張)

かずみさん「ね、みなさんもごはんもらったんでしょ。あなただけもらったってことないわよね」

(としおさんの口元を、いよいよじいっと見つめる三人。高まる緊張感)

としおさん(おもむろに)「もらってないよ、ぼくだけもらった」

みさこさん(勝ち誇ったようにぱあっと晴れやかな表情になり)「ホラ! ホラ!! ホラ!!!」
けんすけさん(人なつっこい笑顔になり)「ホラ! ホラ!! ホラ!!!」
とみいちさん「・・・ラ! ラ!! ラ!!!」
三人「ね〜〜〜〜〜〜!!!!!」(大仰に頷きあう)

(そこにヘルパーさん、登場)

ヘルパーさん「なぁにいってんだ?! 食べたろ!」
みさこさん「食べた? わたしら、三人とも?」
ヘルパーさん「そう、パクパクと」
みさこさん「パクパクと? ああ、食べた食べた、パクパクと!」
けんすけさん「パクパクと!」
とみちさん「・・・ク・・・ク!!!」
みさこさん、けんすけさん、とみいちさん「アーハハハ、食べた食べた、ハハハハハー」
かずみさん、ヘルパーさんも一緒に「アーハハハハハハハ」

(としおさん、我関せずとごはんを食べつづける)

笑い声が温かくひびくなか幕

リポーターの独言
夫が入院中はこういう日が何度もあり、こうやって絆ができていく温かみ、親しみを感じました。夫が退院した今も、食堂で会ったみなさんのことをよく思い出します。
いつまでもお元気でありますように、平安でありますようにと。

(佐々木和恵)

2008-10-16 05:48:21 この記事のURL自分も幸せにする福祉活動

介護保険を知ろう(1)―ケアプラン自己作成って?

介護保険―保険料支払いから制度利用までの道のり
40歳になったら介護保険料を支払い、65歳になったら介護保険証が手元に届きます。
が、介護サービスを利用するためには、介護認定の申請をしなければなりません。
行政の窓口で申請してから、30日以内に認定結果が届きます。
要支援1・2ならば地域包括センターへ、要介護1〜5ならば、事業者へそれぞれ相談して、介護サービスを受けるためのケアプランを作ることになります。

ところでこのケアプラン、自分で作ることができるってご存知でしたか?

2008-10-13 22:57:54 この記事のURL誰でも通る、延命治療、終末期医療

側に誰かのいる幸せ

DSC01801.jpg風邪で寝込み、見上げた天井
ふと思う
最期は、ここに家族の顔があって欲しい

―近くの学校から昼休みを告げる鐘の音

愛犬がニュルリと、冷たい鼻を頬に押しつける
(メシ、マダ?)
側に誰かのいる幸せ

(松尾 陽子)

2008-10-06 08:18:58 この記事のURL誰でも通る、延命治療、終末期医療

介護☆同行二人<ある死>

私の夫は、ある時期、Aというグループホームに、ディサービスを受けるため週に五日通っていました。

そこは、入所施設と通所施設の棟があり、道路に面した駐車場の横に入所施設、その奥に通所施設がありました。私が送り迎えをしていましたから、私と夫は、駐車場に車を止めると、入所施設の入り口の前を通り過ぎて、奥のディの建物に向かって歩いて行くのです。

入所施設の入り口はいつも開いていました。真冬の風が吹き荒ぶ日でもそうでした。
それは、M子さんという、60代後半か70代前半と思われる女性が、玄関の椅子に腰掛けて、外を見るためにそうなっていたのでした。

ある特に寒い日、私は思わず入り口に近寄り、「寒くありませんか?」と訊きました。するとM子さんは、にこっと笑い、廊下の方を指差されました。そこにはファンストーブがM子さんに向けて置いてあって、ふぁ〜ふぁ〜と暖かい風を送っていました。

ある時、職員さんに、「M子さんは外を見るのが好きなんですね」と言いますと、「トラックを見ているの。ホラ、道路の向こうが工場でトラックの出入りがあるでしょ。M子さんは、トラックを見ると歓声をあげて喜ぶのよ。おうちが運送やさんらしいわ」という答えでした。

それから大分経ったある時期から、入所施設の入り口は閉まるようになり、M子さんの姿を見ることはなくなりました。『M子さん、どうされたんだろう・・・』と気になりましたが、『トラックを見るより、他の何かに楽しみを持たれるようになられたんだ・・・』と勝手にそんな納得をしていました。

その後、Aグループホームの経営者の方から、「全部の施設の職員が集まって、介護についての発表会があるから、家族代表として参加して下さい」と言われました。私は、『代表というのはおこがましいけど、勉強をさせてもらうつもりで参加しよう』と思い、発表会の当日会場に出かけました。

Aグループホームはあちこちに施設があり、介護に就いている職員さんの数は多く、この日、それぞれの施設から次々に、介護の事例が発表されていきました。

M子さんが入所されている施設の職員さんの順番が来ました。
私はお話の途中から、心臓の鼓動が激しくなっていくのを覚えました。そこで話されているのはM子さんのことだ、とわかったからです。
それは、体調を崩されたM子さんは、以後、自室で寝込み、食べ物も診療も拒否しつづけて亡くなった、というものでした。

息が止まるのではないかと思うほど高まってくる心臓の鼓動を抑えながら、私は思っていました。
『M子さんは、トラックを見ていたのではなかったのだ、家族が迎えに来るのを待ち続けておられたのだ』と。

そしてある記憶をたぐっていました。M子さんをAホームで見るようになったそれより以前に、別のホームで、私はM子さんを見ていたのです。
当時、私は父親の看病で、三日間夫をそのホームにショートスティをお願いし父の病院で寝泊りし、三日経ったら帰って夫を迎えに行き自宅で三日を過ごし、また三日間ショートスティをお願いして父の病院に行く、という繰り返しの生活をしていました。

それでたびたびそのホームに行っていたのですが、そこで三度M子さんを見かけているのです。
二度は、入り口のところで男性の職員さんに抑えられ、「帰りたい、帰りたい」と声を振り絞っておられるところ。一度は、昼食時に夫をともなってホームの食堂に入っていったら、数人の入所者の方がテーブルについて食事をされていたのですが、一人の女性は、離れたベンチに一人腰掛け、見るからに頑なな表情をされていました。その方の前を、「失礼します」と言いつつ通ったのですが、にこっと笑顔になられて会釈して下さったのです。

この時のにこっとされた顔を思い出し、M子さんであったことを、私は悟ったのです。
後に親しい職員さんに訊き、M子さんが、別のホームになじめず、Aホームに来られたこと、Aホームではすんなり慣れられたが、いつも玄関の椅子に腰掛けトラックを見ておられたことを確かめました。

あの、玄関の戸口から、毎日毎日、朝から夜まで、ひたすら道路を見続けておられた時、そして、医療を受けるのも食事も拒絶され続けておられたという間、ついに命が尽きる瞬間・・・・・M子さんの思い、気持ちがどうであったかなどを想像することは冒涜であるでしょう。

だけど、凡人の私はその冒涜を犯し、どうしても浅はかな想像におちるのです。
“M子さんの、家と家族が恋しくてならなかった思い、ついに叶えられず、生につながる一切を拒絶することで、捨てられた思いを耐えておられたのだろう、その孤独、落胆、失意、寂しさはいかばかりであったろうか”と。

リポーターの独言
私はこれを書くことをずうっとためらっていました。M子さんのご家族を責めているようにとられるのではないかと思うからです。実際、これを読まれた方は、私が暗にご家族を責めている、と思われるでしょう。

でも言い訳でも何でもなく、真実、私はご家族を責める気持ちなどない。絶対にない。
ただ、哀しいのです。いいえ、M子さんの人生が哀しいというのではない。誰がM子さんの生と死を哀しいなど思うでしょう。これほどの壮絶な生死を選択できる人がほかにいるでしょうか。

では何が哀しいのか。それは、命あるものが背負った宿命がです。
死そのものは、自身の生き方、考え方、感受などで、もしかしたら、“こわくない”ものに到達し得るかもしれません。でも、生から死への“時刻”を待つ、あるいは受け入れる、この時刻を私は哀しく思えてならないのです。

この哀しみと、その時刻をひとりでのりこえて往ったM子さんへの敬意を書きたかったのです。

(佐々木和恵)

2008-09-29 07:02:06 この記事のURL自分も幸せにする福祉活動

ケアする人をケアする―NPO アラジン

介護の事、あなたはどれくらい知っていますか?
介護で、困っている事ありませんか?
介護を、一人で抱え込んでいませんか?
専門職であるが故に、見えなくなってしまっている事はないですか?
NPO法人 アラジンが行う『介護者のための文化祭』には、“市民発”の情報があります。

2008-09-22 17:18:38 この記事のURL誰でも通る、延命治療、終末期医療

クイズ―江戸の絵文字(解答編)

emoji_a.jpgクイズ1
1.昔の台所には必須のもの―釜がさまさまで“マカ”
2.鬼女の能面―般若のお面ですね“ハンニャ”
3.おお! メタボ!!―腹で“ハラ”
4.農作業に使います―箕で“ミ”
5.垂れるほど頭の垂れる稲穂かな―稲の実る田んぼで“タ”
6.神社や神棚で見かけます。神様の目印だとか―神鏡ですね。“シンギョウ”
答えは“マカハンニャハラミタシンギョウ”

emoji2_a.jpgクイズ2
1.畑を耕す時に使う鋤、東北では「しき」と発音するそうです。というわけで“シキ”
2.これは答えがかいてありましたね。“ソク”
3.●形平次―銭形平次の銭の半分で“ゼ”
4.『人は生きるために○○のであって、○○ために生きるのではない』まさに食欲の秋ですね―“クウ”
答え“シキソクゼクウ”


クイズ3は2の逆です
答え“クウソクゼシキ”

esingyou.jpg
松原泰道著・宮坂宥明解説 『大人のためのぬり絵 般若心経』(四季社)より

2008-09-15 09:28:34 この記事のURL誰でも通る、延命治療、終末期医療

お葬式考

発刊したばかりの「のんびる」9月号で特集しています「納得のいくお葬式を考える」は私にとって興味深い記事です。
3年前父を見送り、今年春には母を見送りました。しかし、わたしにとっての葬儀というものの印象や認識は、父や母の葬儀からは学べないことが多いような気がしています。父は跡取りでした。ですから父も母も先祖からの菩提寺の僧侶にて法要が執り行われましたし、家の近くの先祖代々の墓地に眠っています。

私の家族は今のところ菩提寺も墓地も持ちません。これから先必ず待っている事態に対しどう準備するのだ、と自問しても頭が思考停止状態で進めません。
そんな私に「のんびる9月号」は「まず知ることから見てみようよ」と優しく、私の前途に横たわる黒い不安の塊の糸をほぐして見せてくれるようなんです。

記事を読んでまず思ったのは、「家族葬」をこじんまりと行いたいと考える人は多いのだということ。それを知って気持ちが楽になりました。
私の夫は現在66歳ですが常日頃から、「自分が死んだら葬式なんかしないでいい。海にでも散骨してくれ」というばかりで葬儀の話などにまともに向き合おうともしません。
親戚付き合いもほとんど無く近隣や仕事関係の付き合いも挨拶程度。それを見ている私としては「夫が亡くなって葬式をやっても葬儀に来てくれる人は10名くらいかな」と思っています。夫は自身でそれを自覚しているため「葬儀なんてしないでいい」というようなことを言うのでしょう。でも今まで私のみてきた葬儀は皆、葬祭場で、あるいは家で、何十名も集めて執り行われたものでしたので、小さな葬儀というもののイメージが沸かなかったのです。

しかし「のんびる」特集記事では、アンケートのデータから多くの人が「こじんまりした家族葬は良いことだ」と思っていることが示されています。時代の趨勢というか、核家族化の流れで、私の夫のような持論を持つ人が特に変でないことがわかりました。

昭和の通念を引きずっている私としては、「密葬」とかいった内輪だけの葬儀は、なんだか世間に後ろめたいことがあって仕方なく行うのか・・・などというマイナーイメージを持っていたものです。ところが今では「密葬」だけというケースも増えてきたし、「家族葬」と呼ばれるものも人気が高まって来ているとか・・・。私も認識を新たにしました。

私が懸念することで最も大きいのは葬儀にかかる費用です。これは20年ほど昔の叔父の葬儀の時や、最近の父母の葬儀の時、耳に挟んだ周囲の会話からお坊さんへのお布施はすごく高額のものらしいという先入観が自分の中に出来てしまっていました。
叔父の時は、葬儀のあと、お坊さんに渡す謝礼(お布施)を、叔母が幾ら渡したら良いかお坊さんに尋ねたところ、指を3本立てて見せたので「3万円」だと思って差し出したら、「30万円ですよ!しっかりしてくださいよ!」とお坊さんに、常識のないことをなじられたという話でした。

次に、最近の父の葬儀の時耳に挟んだ、その地域の実例の話。
お坊さんは決して謝礼の金額を言わない。(それはその世界のしきたりであるらしい。)「お心で結構です」と言い張るらしい。Aさんの家では、20万円を封筒に入れてお坊さんに差し出した。するとお坊さんは受け取らない。日頃から一万円札の束を見慣れているお坊さんは封筒の厚さで中に幾ら入っているのかわかるらしい。封筒を取らずに黙って正座したままでいたという。仕方なく封筒を引っ込め、奥に行って一万円札を10枚足し入れて改めて差し出したら受け取ってもらえたそうな。

叔父のケースは今から30年くらい昔の話。神奈川県でのこと。Aさんの話は最近長野県でのこと。30年昔も今も葬儀の際お坊さんに渡す謝礼は最低30万円か?などと思ってしまう。地域性もあるのかな。神奈川県での最近の相場はもっと上がっているかも知れない。東京では、それより高いかしら・・・。
こんな世俗の悩みに、「のんびる」の記事は付き合ってくれる。「仏式の料金の目安」を載せてくれています。
「戒名」によっても違うのですね。うちの父母は戒名が信士・信女でしたから値段は最安ランクです。

生前父は「戒名なんて何の意味もない。森鴎外は戒名を拒否し、自分の墓に『森林太郎』という本名を彫らせた。そういうのが良い」と言っていたから戒名が安いランクでも何でも平気であの世で笑っていることでしょう。私はそういう父の影響下で育ちましたから、「戒名」に何の関心も無く来たのです。

でもそういう私でも、最近「戒名」というものにちょっと別な視点を持つようになりました。
私が少し前までホームヘルパーの仕事でよく訪問していた女性。84歳で、それは優しく賢く、私の憧れの女性でした。その女性が、ある日こんなことを言ったのです。
「昨日ね、民生委員の○○さんが久しぶりに家に来てくださいましてね。一緒にお仏壇の周りのお掃除したんです。私もいろいろ整理したく思うものですから・・・。ここの仏壇には、我が家の家系図も置いているんですの。古くて傷んでいるのですけれど・・・。そしたら○○さん、その家系図を見て、『まあ、院号の方が2人いらっしゃる』と驚かれました。そしてね、『院号というのは、菩提寺によほど貢献した方でないともらえない戒名なのですよ。たとえば寺を建て直す際に高額の寄進をしたとか、その他社会に貢献した人でないと。そういう方が先祖におられる家系図は大切にされたほうがいいですよ』といってくださいました。私、誇らしい気持ちでした。それで傷んでいる家系図を、専門の修理に出そうかと思っております。」と。

私は感心した風に相槌を打って聞いておりました。実際、感心したのです。あの時のあの女性の言葉で私の「戒名」考あるいは仏壇考が今までとは違う方向に向き始めました。自分のルーツを誇らしく思うことはいいことだ。家系図だって、次世代に誇りを伝えるものの一手段としては大事なものなのかもしれない。この女性は「院号」がお金さえ積めばもらえるもんだという皮肉な見方をせず、「お寺さんや社会に貢献したから」と素直に信じている。そして自分が亡くなって先のことをあれこれ考えては人生の整理をやることを生きがい、または課題にして今を生きている。

そうした女性の生き方を見て、私も襟を正すような気持ちで考えました。「自分の代で終わるのではない家系」のこと。「この家系の流れの中に生きた幸せ。次世代もさらに自分のように幸せな人生を送ってもらいたいの。よきものをたくさん子や孫たちに受け継いで欲しいと願います。ですから私は毎日こんなにして、家を磨き、家の思い出を磨いているのです」という女性の声が聞こえてくるようです。
人生の整理、葬儀への準備とは、同時に若いものへの教えでもあるのだから、「自分はこうしたい、と貫きとおしたね」「自分の代で終わりだよ。あとのことは知らないよといわんばかりだったね」と周囲の人が感じ取るような葬儀はどうかな・・・と思うようになったのです。

「こじんまりした家族葬」は今の社会の流れに合っている。と、まるで、マンションを選ぶ時の合言葉「家族形態に合った間取り」に似た語感の「家族形態に見合った家族葬」。現実そこへ至るのさえ精一杯のような我が家ですが・・・。
でも今から準備したら形はどうでも、ルーツを受け継いでいく場になるようなことが実現できるかも知れません。

「のんびる」記事で最後の方に碑文谷 創(ひもんや はじめ)さんの言葉があります。「自由な、それぞれに合ったお別れ、送り方ができるようになった反面、何が本当に大切かということも見えにくくなってきたように思います。これまでの根拠のない因習、しがらみからの開放という評価すべきことが多い一方、文化的には根無し草になる危険をはらんでいます」という言葉が私にはずっしりと重く感じられました。
引越しばかりしてきた我が家のことを私は自嘲気味に「根無し草」と表現したことがあるのですが、文化的にまで根無し草になりたくないな、と思います。「のんびる」9月号の記事に触発されて長々とつぶやいてしまいました。(山本豊美)

2008-08-31 23:54:20 この記事のURL農業・地場産業の助っ人になろう!From山梨


▲このページの上へ戻る